最高裁判所第三小法廷 昭和53年(行ツ)113号 判決 1980年12月09日
上告人 横浜中税務署長
代理人 柳川俊一 藤浦照雄 岩田栄一 鎌田泰輝 三宅康夫 ほか二名
被上告人 株式会社昭和カラー
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人蓑田速夫、同藤浦照生、同福岡右武、同品川芳宣、同岩田栄一、同鎌田泰輝、同野崎悦宏、同菊地健治、同三宅康夫、同関川哲夫、同大谷勉の上告理由について
原審が適法に確定した事実関係のもとにおいて、被上告人代表者が本件訴の出訴期間は本件裁決の訂正通知が被上告人に到達したときから起算すべきものと誤解したことに過失はなく、また、右訂正通知が被上告人に到達した後三月以内に提起された本件訴につき訴訟行為の追完を認めるべきものとした原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判官 環昌一 横井大三 伊藤正己 寺田治郎)
上告理由
第一点 理由不備
原判決には民事訴訟法(以下「民訴法」という。)三九五条一項六号にいわゆる理由不備の違法がある。以下そのゆえんを述べる。
一 原判決はその理由中において「控訴人代表者渋谷茂は本件裁決の調査を担当した副審判官の言に基づき本件裁決の取消訴訟の出訴期間は、本件裁決の訂正通知が控訴人に郵送されたときから起算すべきものと信じたものである」とした上(右の文中本件裁決の取消訴訟とあるは、本件取消訴訟の誤記と思われる。)、根拠法文を明示することなく、「右に認定した事実関係のもとでは、控訴人代表者が右のように信じたことをもつて同人の過失とするのは相当でなく、右訂正通知が控訴人に郵送された日である同年八月六日から三ヵ月以内に提起された本件訴については、訴訟行為の追完を許すのが相当である」と結論づけているが(原判決八枚目裏三行目以下末行まで)、原判決のこの結論はいかなる法令の根拠に基づくものであろうか。
二 行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)七条により、行政事件訴訟には民訴法一五九条の準用があると解されるが、本件の出訴期間が不変期間であること(行訴法一四条二項)及び原判決の右結論部分において用いられた「控訴人代表者が右のように信じたことをもつて同人の過失とするのは相当でなく」とか「訴訟行為の追完」といつた表現からすると、原判決も民訴法一五九条を本件に準用したもののように見受けられる。
しかしながら、原判決が本件事案につき民訴法一五九条を準用したものとした場合、まず疑問に思われるのは、被上告人代表者が誤信した出訴期間(本件裁決の訂正通知の日から三か月)内に訴訟を提起すれば足りるとする原判決の結論は果たして同条の規定から当然に導かれ得るものであろうかという点である。同条一項はその文言自体から明らかなように「其ノ事由ノ止ミタル後一週間内ニ限り」け怠した訴訟行為の追完をなし得る旨規定しているのであつて、原判決の裁決訂正通知の日から三か月内であれば訴訟行為の追完が許されるとする右の判示は明らかに右条文の文理にそぐわない。原判決が本件につき民訴法一五九条を準用しながら、しかもこのように、同条の文理にそぐわない結論を導き出すのならば、何故に同条の解釈としてそのような結論を導き出すことができるのかその理由を明らかにすべき筋合いであるが、原判決はこの点につき何ら触れるところがない。原判決が本件につき民訴法一五九条を準用したものであれば、この点において、その理由づけが不充分であり、不明確であるといわなければならない。
また、原判決が本件に同条項を準用するなら、当然右法律上の要件に該当する具体的事実として「其ノ事由ノ止ミタル」がいつであるかということ及び本件訴訟がその「後一週間内ニ」提起されたことについて明確に認定判断すべきである。しかるに原判決はかような認定判断をしていない。原判決は民訴法一五九条を適用ないし準用する場合、具体的事案によつては必ずしも右の「其ノ事由ノ止ミタル後一週間内ニ限リ」という要件は必要ではないと解し、しかも本件はそのような場合に当たるとしたのであろうか。判文ではその点が全く明らかでない。原判決はこの点理由不備というべきである。
三 原判決は前述のように、一方において「……過失とするのは相当でなく」とか「訴訟行為の追完」とかの語を用いながら、他方では「控訴人代表者渋谷茂は……副審判官の言に基づき……出訴期間は本件裁決の訂正通知が控訴人に郵送されたときから起算すべきものと信じ」「右訂正通知が控訴人に郵送された日……から三ヵ月内に提起された」本件訴訟は適法である旨の判断を示している。
右後段の判文は民訴法一五九条よりは、むしろ国税通則法七七条六項、行政不服審査法一九条の誤まつた教示があつた場合の不服申立期間に関する規定を想起させる。このような部分からすると、原判決は、民訴法一五九条の準用による訴訟行為の追完ではなく、別個の法理に拠つているかのようにもうかがわれなくはない。しかし、行訴法の定める不変期間としての出訴期間及びその不遵守に対する救済は、法的安定と確実性の理念からして、明文の根拠規定に基づいてその要件を厳格に解釈すべきことは当然であり、これを規定のあいまいな解釈や適用ないし準用等によつて緩和すべきでないことはあえて論をまたないところである。
本件事案は、後述するように、もともと、実質的にみて、民訴法一五九条更には国税通則法等の規定によつて救済するに値する事案ではない。これを強いて救済しようとしたところから、原判決の判示が規定の文言、趣旨とかい離し、理由づけがあいまいになつたものと思われる。
四 民訴法三九五条一項六号のいわゆる理由不備に当るものとしては、全部一部を問わず必要な理由が存しない場合、如何なる法適用ないし法的評価を下したか不明である場合(最高裁昭和三〇年七月一日第二小法廷判決・民集九巻九号一〇五八ページ)、適用法規の要件事実に該当する事実摘示の不足する場合等が挙げられるが、原判決は右いずれの事由にも該当するものであり、原判決には理由不備の違法がある。
第二点 法令違背
一 理由不備の上告理由が理由なく原判決が、行訴法七条によつて民訴法一五九条一項を準用したものであるとしても、原判決には同条項の解釈を誤つた違法があり、右法令違背が判決に影響を及ぼすことは明らかである(民訴法三九四条)。
二1 原判決は、被上告人代表者渋谷茂が、東京国税不服審判所横浜支所の副審判官川手真造の言に基づいて、「本件裁決の取消訴訟の出訴期間は、本件裁決の訂正通知が控訴人に郵送されたときから起算すべきものと信じたものであ」るとした上、「控訴人代表者が右のように信じたことをもつて同人の過失とするのは相当でなく」、「本件訴については訴訟行為の追完を許すのが相当である」としている(原判決八枚目裏三行目ないし末行まで)。
2 ところで、民訴法一五九条一項は、「当事者ノ責ニ帰スヘカラサル事由」によつて不変期間を遵守することができなかつた場合に、右事由がやんだ後一週間内に限り訴訟行為の追完を許すものであるところ、いかなる場合に右事由があるとすべきかについては、法文上不変期間とされる各種の期間が、いずれも、法律関係の早期の安定を図るべく設定されたものであることにかんがみ、当該場合において、右法的安定の要請を度外視してもなお、当事者のけ怠した訴訟行為の追完を許すべきかどうかを考慮した上、各場合の具体的事情に即して判断するべきものである。
3 そこで原判決を見ると、被上告人代表者が本件取消訴訟の出訴期間は訂正通知書が郵送されてきた日から起算すればよいと誤解した事情として、<1>本件裁決書謄本が昭和四七年七月二七日に被上告人に送達された後の同月下旬ころ、東京国税不服審判所横浜支所の副審判官川手真造が被上告人代表者に対し、電話で、本件裁決書謄本の誤記の訂正につき告げた際、被上告人代表者は川手に対し、本件裁決書謄本の送達は受けたが本件裁決には不服であるので取消訴訟を提起するつもりでいる、ついては本件裁決の訂正についても正式の書面により通知されたい旨求め、川手がこれを了承したので、出訴期間については右訂正通知の文書が来てから起算していいのかと質問したところ、川手はそうだと答えたという事実とともに、<2>右訂正通知書は同年八月六日被上告人に郵送されてきたが同通知書は「審査請求裁決書謄本在中」と不動文字で印刷した封筒に入れてあり、配達証明郵便とされていた事実を挙げ、「川手の前記回答と合わせて」(原判決七枚目裏五行目)右誤解が生じたものとしており、原判決は、判文上、<1>、<2>の事実を根拠として、民訴法一五九条一項にいう「当事者ノ責ニ帰スヘカラサル事由」があるとの判断をしていることは明らかであつて、更にこれに基づき「右訂正通知が控訴人に郵送された日である同年八月六日から三か月以内に提起された」(原判決八枚目裏九行目)本件取消訴訟については訴訟行為の追完を許すべきものと判断をしているのである。
しかしながら、原判決の右各判断は、以下に述べるとおり、民訴法一五九条一項の解釈を誤つたものである。
4(一) 川手の応答における職務行為性の欠如
そもそも、国税不服審判所職員は、課税処分、裁決等に対する取消訴訟の出訴期間について、職務上教示の義務ないし権限をもつものではなく、したがつてその意味で、川手の応答は同人の職務行為としてされたものではない。
すなわち、国税通則法七七条六項は、国税に関する法律に基づく処分をした者が誤つて法定の期間より長い期間を不服申立期間として教示した場合において、その教示された期間内に不服申立てがされたときは、当該不服申立てを法定の期間内にされたものとみなす旨規定し、このように、不服申立期間(異議申立期間及び審査請求期間を含む。)についての誤つた教示をした場合の救済措置を講じているが(なお、行政不服審査法一九条は同旨の定めを置いている。)、これは、行政不服審査法五七条が不服申立期間について行政庁に教示の義務を課していることに対応しているのであつて(同条一項は処分をする際の教示の義務を、二項は教示の請求があつたときの教示の義務を定めている。)、進んで課税処分、異議決定及び裁決についての取消しの訴えを提起するための出訴期間(行訴法一四条一、三、四項)という点になれば、これを教示すべき義務は、処分庁(異議審理庁)、審査庁のいずれにも課されていないのであり、したがつてまた右出訴期間の教示はその権限事項にも属していないのである(大阪地裁昭和四五年二月二五日判決・訟務月報一六巻六号六五四ページ参照)。それは、出訴期間なるものは、その性質上、右に述べた不服申立期間の場合と異なり、あくまで国民対裁判所の関係で問題になるべき事項であつて、かかる裁判手続上の事柄に行政機関が介入するのは相当でないからである。
以上の次第で、出訴期間についての川手の応答は、国税不服審判所職員としての同人の職務行為としてされたものでないことが明らかである。そして、当事者が関係公務員の職務行為外の発言によつて法解釈上の誤解を生じたからと言つて、直ちに民訴法一五九条一項による救済を受けられるものではなく、原則として右当事者の誤解には過失があるものと言うべきである(なお、広島高裁岡山支部昭和二六年一二月二一日判決・高裁民集四巻一三号四二九ページ参照)。このことは、当該公務員の発言が、本件のように、本件裁決の訂正の告知という、国税不服審判所職員としての職務行為の遂行の機会にたまたまされたような場合においても、同様であると言うべきである。
更に、本件裁決との関係で川手の国税不服審判所職員としての地位を考えるのに、同人は、もとより本件裁決に係る裁決権者ではないし(国税通則法九八条一、二項)、裁決権者たる国税不服審判所長が本件裁決に係る審査請求事件の調査・審理を行わせるために指定した担当審判官、参加審判官(同法九四条)のいずれでさえもなく、東京国税不服審判所横浜支所所属の副審判官として、担当審判官、参加審判官らを補助して被上告人に対する調査に従事していた者にすぎないのである。
したがつて、被上告人代表者が川手の応答によつて出訴期間について誤解を生じたとしても、以上の点だけから見ても、出訴期間け怠についてその責めに帰すべからざる事由があるとは言えないものである。
(二) 川手の応答の手段・方法、態様及び内容
川手の応答は、まずその手段・方法の点では、原判決認定のように電話によりされたものである。そして、電話による対話は、文書による質問回答の場合に比較すればもちろんのこと、現実の相対者間の質疑応答の場合と比較しても、その性質上、対話内容についてそごを生じやすく、また不正確に流れやすいものであることが明らかである。電話による発言については、送話者側においては文書等による見解の表明に比べて必ずしも熟慮をめぐらすことなくこれを行い、一方、右に対応して、受話者側では、社会一般でも、これをさほど正確性・厳密性を備えたものとして受け取ることはしないというのが通常である。
そして、更に原判決の認定するところに従い、川手の電話による応答の次第をつぶさに検討すれば、その電話は、既に送達されていた本件裁決書謄本の裁決理由中の数字の訂正方(理由中の五箇所につき「三〇〇、〇〇〇円」と記載されているのを「三〇、〇〇〇円」に訂正するもの。)を連絡するべく川手の方から被上告人代表者に対してかけ、右訂正の点を告知したものであり(判文上明らかなように、国税不服審判所側は、右訂正の処理を電話連絡のみによつて行うこととしていたものであり、川手の当該告知はその趣旨でされたものである。)、その際被上告人代表者が訂正通知の文書の送付を求めた上、出訴期間については右訂正通知の文書が来てから起算していいのかと質問したのに対し、川手が「そうだ」と応答したというのであつて、出訴期間についてのその応答の態様は、川手が前記訂正の告知をした際、話題が上記のように(思いがけず)進展した結果、被上告人代表者の方からの質問に対して即答したというものであり、かつ、その即答の内容たるや、単に「そうだ」との、いわゆる相づちを打つ程度のものであつたのである(なお、原判決によれば、川手は、このほか「本件裁決の取消訴訟の被告は国税不服審判所長ではなくて横浜中税務署長である」旨答えたというのであり(傍点は上告人による。)、してみると、右応答内容は行訴法の解釈を全く誤つたものと言うべきであるが、これは出訴期間の問題とは別の事柄である。)。
以上のところから見れば、川手がその職務権限外の出訴期間の問題につき被上告人代表者から問われるままに誤つた答弁をした点の軽率さは否めないにしても、右のような応答の手段・方法、態様及び内容に照らして考えれば、本件において、川手の言に盲従して出訴期間について誤解をした被上告人代表者の過失は大きく、到底、出訴期間け怠についてその責めに帰すべからざる事由がある場合に当たるとは言えないことが明らかである。
(三) 訂正通知書の体裁・内容等
(1) 原判決は、昭和四七年八月六日被上告人に郵送されてきた本件裁決の訂正通知書が、「審査請求裁決書謄本在中」と不動文字で印刷した封筒に入れてあり、配達証明郵便とされていたことを挙げている。しかしながら、出訴期間に関する被上告人代表者の誤解に過失がなかつたか否かを判断するためには、封筒表面の印刷文言とか郵送方法とかよりも、むしろ送付された本体そのものである訂正通知書自体の内容、体裁等を検討することが必要である。
ところで、右訂正通知書の内容は、本件裁決書謄本の裁決理由欄中の五箇所の金額記載が「三〇〇、〇〇〇円」となつているのが誤りで、これをいずれも「三〇、〇〇〇円」に訂正するというだけのものであつて、裁決主文はもとより、本件裁決書謄本のその余の記載部分についての訂正は全く行なわれておらず、右訂正は本件裁決書謄本中のその余の部分に影響することは全然ない性質のものであり(したがつて、言うまでもなく、被上告人が課税処分取消訴訟を提起するためには、少くとも客観的に見て、訂正通知書の存在は全く無関係かつ不必要のものであつたのである)、しかも、そのことが、訂正内容そのものから、極めて明白であつたのである。そして、本件裁決書謄本の体裁が、「裁決書」と頭書した上、名義人を「国税不服審判所長八田卯一郎」としているのに対し、右訂正通知書は、「裁決書謄本の訂正通知」と頭書した上、名義人を「東京国税不服審判所長首席国税審判官関根達夫」としているのである。このような本件裁決書謄本との比較における訂正通知書の体裁の相違に加え、同通知書に係る前記記載内容を合わせ見れば、右訂正通知書は、たとえその封筒表面に「審査裁決書謄本在中」との不動文字による印刷文言が見られたとしてもいやしくも訴訟を提起しようとする者なら、多少の注意力を働かせれば、何びとといえども、これを(右印刷文言どおりの)裁決書謄本そのものであるとか、あるいは控訴人代表者の主張するがごとき「訂正裁決書謄本」である等と誤信するはずのないものであることは余りにも明らかであり、単なる、そして軽微な誤記の訂正にすぎないと考えるべき筋合いのものであると言つてよい(かえつて、前記印刷文言の付記してある封筒の使用は、訂正通知書を郵送するには適切でない流用使用である等のことに想到していいはずのものである。なお、右印刷文言は不動文字によるものであり、訂正通知書郵送の際に新たに書き加えたものでないことはそのこと自体によつて明らかである。)。なお、訂正通知書が配達証明郵便で郵送されたということそのことは、被上告人代表者の過失の有無を判断する上で、何ら意味を有する事柄ではないというべきである。
(2) 以上の次第であるから、仮に、当初、前記電話での対話の際の川手の言に基づき被上告人代表者が出訴期間に関して誤解をしたことが過失のないものであると言い得るとしても、その後右訂正通知書を受領し、披見した段階では、同代表者が、訴訟を提起しようとする一般人が通常払うであろう注意を払つていたならば、果たして同通知書が郵送された日から出訴期間を起算すべきものかということについて、当然に疑いを抱いたはずであり、川手の電話による前記のような応答の次第を考えればなおさらのことであると言わなければならない。課税処分取消訴訟を提起しようとする被上告人代表者としては、出訴期間の問題はさし当たつて最も重要な関心事なのであるから、自ら、法規を調査しあるいは裁判所に問い合わせるなどし(名古屋高裁昭和三四年一月二八日決定・高裁民集一二巻四号一三一ページ参照)、又は知り合いの弁護士に尋ねてみる等のことをすべきものであつて、そうすれば容易に出訴期間について正確なことを知り得べきところであつたと言える。しかも、前記訂正通知書の郵送された日は昭和四七年八月六日であり、本件裁決書謄本の送達日である同年七月二七日から起算して三か月目に当たる同年一〇月二六日までに、なお八二日間を残していたのであるから、これら各種の方策を講ずる余裕は十分にあつたのである。
しかるに原判決の認定するところによれば、被上告人代表者は川手の言によつて誤解したまま、訂正通知書が前記印刷文言を付した封筒により配達証明郵便で郵送されてきたことからして、い然として訂正通知書の郵送日から出訴期間が起算されると信じていたというのであつて、川手ら国税不服審判所側の手落ちもさることながら、手をこまねいて出訴期間に相応の注意を払わなかつた被上告人代表者の過失は明らかであり、その責めに帰すべき事由があると言わなければならない。
(四) 当事者の責めに帰することのできない事由に基づく出訴の不能
(1) 当事者が、出訴期間を遵守しなかつた場合に、民訴法一五九条一項により追完が許されるためには、当事者の責めに帰することのできない事由によつて出訴期間を遵守することができなかつたこと、すなわち、その責めに帰することのできない事由と出訴期間の遵守不能との間に因果関係が存在することを要することは、明文上疑いがない。したがつて、例えば、当事者が、出訴期間の開始進行についての誤解によつて出訴期間を遵守しなかつた場合、追完が許されるのは、その誤解のため、出訴期間内に訴を提起することが時間的に不可能であるような事案についてであり、そのような誤解があつたにもかかわらず、出訴期間内の訴提起が時間的に通常十分可能であると認められるような事案については、追完は許されない(西村宏一「期間の遵守・懈怠」総合判例研究叢書・民事訴訟法(6)一五七ページ参照)。追完が、法的安定の見地から厳格な遵守が要求される不変期間について例外的に許されるものである以上、これによつて救済するに値するのは、その責めに帰することのできない事由により、訴訟行為を行うことが不能となつたために期間を遵守しなかつた者のみであり、そのような事由の存在にもかかわらず、期間内に訴訟行為を行うことが時間的に十分可能であつたのに期間を徒過したような者まで保護する必要はないのである。法が、当事者の責めに帰することのできない事由によつて期間遵守不能となつた場合であることを追完の要件としているのは正にこの趣旨によるものである。
本件において、被上告人代表者は、川手の言を信じたために、出訴期間は、本件裁決書謄本の送達の日である昭和四七年七月二七日からでなく、訂正通知書送付の日である同年八月六日から起算されるものと誤解していたというのであるが、問題は、そのような誤解のために、被上告人において、出訴期間内に訴を提起することが時間的に不可能であつたか否かということである。しかし、本件において、被上告人は、出訴期間の進行開始の時期について右のような誤解をしていたとしても、右八月六日以降においては、出訴期間の最終日である同年一〇月二六日に至るまで八二日間は、いつでも出訴することが可能な状態にあつたのであり、被上告人代表者においても、もとよりそのことを認識していたのである。結局、本件においては、右誤解に基づく被上告人の出訴不能なるものは、川手との電話のやりとりのあつた七月下旬ころから八月五日までの間、本件の三か月の出訴期間のうちの冒頭のわずか一週間程度について存したに過ぎず、その後は出訴期間の最終日に至るまでの間、被上告人の訴提起を不能ならしめる事情は存しなかつたのであるから、被上告人は、この間、実に八二日間の長期にわたり、出訴期間を遵守した出訴をすることが可能な状態にあつたのである。八二日間という期間が、通常人が訴の提起を行うについて十分に余裕のある期間であることは疑いないから、本件は、出訴期間の開始進行につき誤解があつたにもかかわらず、出訴期間内の出訴が時間的に十分可能であつた事案であり、右の誤解のため出訴期間内の出訴が時間的に不可能となつたような事案ではない。
(2) 国税通則法七七条六項は、既に述べたとおり、行政不服審査法一九条とともに、不服申立期間について誤つた教示がされた場合には、右教示に係る期間内に不服申立てがあれば一律に、機械的に、右不服申立てを法定の期間内にされたものとして扱い、かかる事由による不服申立期間不遵守を救済する定めを置いている。
これは誤つた教示がなされた場合には、本来の不服申立期間内に申立てが可能であつたか否かを問わず、教示の期間内の申立てをすべて救済するものである。本件において、本件訴訟が川手の誤つた言に基づき三か月の期間内に提起されたものであるという理由だけで、果たして出訴期間の遵守が不能であつたか否かを問題とせずに、救済を認める原判決の処理は、民訴法一五九条一項の法意に沿わず、むしろ、右国税通則法等の規定の予定する救済に類するというべきである。しかし、前述のとおり、民訴法一五九条一項は、右のような誤つた説明に基づく出訴期間についての誤解があり、それが仮に責めに帰すべからざるものに当たるとしても、出訴期間内の出訴が時間的に十分可能であつた者を救済するものではなく、そのために出訴期間の遵守が時間的に不能であつた者を救済しようとするものであり、しかも、右の出訴不能の状態が解消し、出訴が可能となつてから一週間に限つて、これを救済するものである。本件においても、仮に、訂正通知書が、本来の出訴期間の満了直前に、あるいは満了後に送付され、そのために、被上告人において出訴期間内に出訴することが、通常人の見地から見て、時間的に、不可能であつたと認められるような場合であれば、民訴法一五九条一項の適用の問題が生じ得ると言つてよい。しかし、その場合、民訴法一五九条一項によつて追完が許され得るのは、右送付の時から一週間であり、原判決のように、送付の時から三か月という解釈は容れる余地がないといわなければならない。
なお、国税通則法及び行政不服審査法の右各規定は、行政庁に不服申立期間等についての教示の義務が課せられていること(右教示制度は、行政不服申立制度の円滑なる活用を図るために設けられたものである、前掲大阪地裁昭和四五年二月二五日判決参照。)に対応して定められた行政不服申立手続についての特別・固有の規定である(それは、教示内容が誤りであることについての被教示者の知・不知ないし誤信についての過失の有無さえも問わないのである。)。したがつて、民訴法一五九条一項の解釈上、右各規定の趣旨をそのまま推及することは許されないというべきである。
(3) また、本件においては、右のように、出訴期間の起算日についての誤解にもかかわらず、出訴期間の満了まで、なお八二日間という、三か月の出訴期間の優に大半を占める長期の期間が存し、被上告人において、十二分の余裕をもつて出訴することが可能であり、その可能であることは被上告人においても承知していたのにその間上訴することなく、出訴期間を徒過したのであるから、到底、その責めに帰することのできない事由によつて、出訴しえなかつた場合に当たると言うことはできない。
(4) したがつて、いずれの点からしても、本件は、民訴法一五九条一項により出訴の追完の許される場合に当たらないと言うべきである。
(五) 法の不知による出訴のけ怠
民訴法一五九条一項にいう「当事者ノ責ニ帰スヘカラサル事由」とは、もとより、天災その他避けられない事変というような客観的不能に限られるものでないが(大審院昭和九年五月一二日判決・民集一三巻一四号一〇五一ページ参照)、不変期間不遵守の事由が当事者の訴訟行為又はその裁判所への到達が妨げられたというのではなく、不変期間について、当事者の法の不知ないし法解釈上の誤解に関係している場合、これをどの程度まで救済すべきか否かは、法秩序全体の立場から極めて慎重に判断すべき事柄と言える。
そして、殊に、当事者の不変期間不遵守が、他の事情も競合していると認められるとは言え、帰するところ当事者の法の不知ないし法解釈上の誤解に基因しているものと評価できる場合には、「法の不知は害す」(Ignorantia juris nocet)という法格言のとおり、当事者は、いやしくも法治国家の構成員たる以上、一般に法律(当然、訴訟法も含まれる。)の命ずるところを知つているものとされるのであるから、原則として「当事者ノ責ニ帰スヘカサル事由」には当らないと考えるべきである。
本件の場合、原判決の認定事実に従つても、既に見たとおりの次第であり、出訴のけ怠は、帰するところ、出訴期間についての被上告人代表者の誤解に基因するものと言えるのであるから、出訴の追完は許されないと言うべきである。
3 以上のように、原判決には民訴法一五九条一項の解釈を誤つた違法のあることが明らかである。